東京地方裁判所 昭和60年(ワ)15893号 判決
原告
新井啓子
被告
大田博志
主文
一 被告は、原告に対し四三五万三二七〇円及びこれに対する昭和五七年八月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告その余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。
四 この判決は主文第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
一 原告
1 被告は、原告に対し六八四万一九一四円及びこれに対する昭和五七年八月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 右1項についての仮執行の宣言
二 被告
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 原告の請求原因
1 交通事故の発生
原告は、昭和五七年八月七日午後三時二五分頃、自転車に乗つて東京都練馬区中村北四―一二―一先路上を富士見台方面から中村橋方向に向つて進行中、千川通りから左折してきた被告運転の普通乗用自動車(以下「加害車両」という。)に接触されて転倒し、右肩挫傷等の傷害を負つた。
2 被告の責任
被告は、加害車両の所有者であり、かつ、左方の安全を十分確認することなく交差点を左折した過失があるから、自賠法三条及び民法七〇九条に基づき原告の被つた損害を賠償する責任がある。
3 原告の損害(被告からの既払分は除く。)
(一) 慰藉料 一八〇万円
原告は本件事故によつて頸椎捻挫、臀部・右肩挫傷等の傷害を被つたため、六日間入院して治療を受けたほか、なお現在まで通院を続けているが、症状は極めて重く、頭痛、めまい、吐気などによつて日夜悩まされ続け、日常生活、家事などに多大の不便をきたし、かつ、声楽家として昭和五七・五八年度の声楽コンクールにも参加できなかつたなど精神的被害は多大であるので、その間の慰藉料としては一八〇万円が相当である。
(二) 休業損害 一六六万一六九三円
原告は、自宅でピアノ教師として一日あたり三七五一円の収入を得ていたが、病院等への通院により昭和五八年三月一日以降四四三日間レツスンを休んだため、その間一六六万一六九三円の損害を被つた。
(三) 雑費 九一一六円
(四) 治療費 一〇万四〇一五円
(五) 薬代 三〇〇〇円
(六) 医師等への謝礼 一七万一七五〇円
(七) 家事労働喪失 一八五万七六〇〇円
原告は、昭和五七年八月から昭和五八年二月までは全く家事が出来ず、昭和五八年三月以降は少なくとも以前と比べて半分以上の家事ができない状態にあり、夫、子供、妹、知人の協力によつてやつと毎日毎日を凌いだ状況であり、家庭生活上不必要な出費も余儀なくされた。
そして、原告の年齢は四〇歳であり、賃金センサスにもとづく平均賃金は一五万四八〇〇円であるから、原告の家事労働喪失による損害は、次の計算式のとおり一八五万七六〇〇円である。
154,800円×24×0.5=1,857,600円
(八) 交通費 三万四七四〇円
(九) 後遺症損害 一二〇万円
原告の後遺症については、昭和五九年七月一二日一四級一〇号の後遺症を残して症状固定したと認定されたが、原告にはその後も頭痛、めまい、吐気、肩こり、しびれ、声のしわがれ等の症状が日夜継続し、通常の鞭打ち症と比べてはるかに重い症状を呈しており、この症状は今後一〇年間程度更に続くものといえる。
よつて、原告は、次の計算式のとおり今後一〇年間の逸失利益七三万七九二二円と慰藉料五〇万円のうち一二〇万円を請求する。
4 結論
よつて、原告は、被告に対し以上の損害合計六八四万一九一四円及びこれに対する本件事故発生の日である昭和五七年八月七日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する答弁
1 請求原因の1の事実は認める。
2 同2の事実及び主張は認める。
3 同3の事実は否認する。
4 同4の主張は争う。
三 過失相殺の主張
本件事故は、交差点を左折し横断歩道を通過する寸前の被告運転の加害車両の後部左ドアに原告の乗つた自動車が接触してきたために発生したものであり、横断歩道上といえども原告が左右の安全を確認さえすれば、容易に回避し得たのであつて、本件事故の発生には原告にも大きな過失があるから、右過失を斟酌して損害額を算定すべきである。
第三証拠
証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人目録等記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 原告主張の請求原因1、2の事実及び主張については当事者間に争いがないところであるから、被告は、本件事故によつて原告が被つた損害を賠償する責任があるというべきである。
二 そこで、原告の傷害の部位・程度、入・通院の経過、後遺障害の内容・程度等について判断する。
原本の存在と成立に争いない甲第七、八号証、成立に争いない同第二〇ないし二四号証、同第二九、三〇号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一九号証の各記載に原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨を総合すると、原告は、事故直後の昭和五七年八月七日近くの丸茂病院で診察を受けたが、同病院の診断では右肩打撲、臀部打撲等であつて、レ線上明らかな骨折を認めず、全治七日の加療を要する見込みであるとされたこと、しかし、その後原告としては、頭痛、右肩の痛み等を覚え、発熱もあつたため、同月九日知人の紹介により杉浦整形外科に赴き検査を受けたところ、レ線学的神経学的異常は認められないが、頸部の運動制限が高度であるとし、頸椎捻挫、臀部・右肩挫傷、外傷性頸肩腕症候群と診断されたこと、そこで、原告は、同外科に通院することになつたが、経過が良好でなく集中治療をするため同年九月一三日から同月一八日までの六日間同外科に入院したものの、その後は通院治療に切り換え、昭和五八年三月一四日まで同外科で各種投薬、マツサージ、牽引療法等の治療を受けたこと、しかし、原告は、杉浦整形外科の治療では鞭打ち症の症状が消失しないため、知人の医師の奨めによつて昭和五八年二月二八日から日本大学板橋病院神経内科や理学診療科にも通院することになり、以後昭和五九年七月一二日まで同病院に通院(通院実日数一七九日間)して頸椎障害、頸椎障害の後遺症の治療を受けた結果症状が軽減し、なお知覚の低下があつてピアノ教師として必要な能力の低下は残存すると思われるものの、昭和五九年七月一二日をもつて症状が固定したものと診断されたこと、また、原告は、日本大学板橋病院で医師の治療を受けるほか、右医師の許可を得て赤堤治療院、桜井指圧治療院などに通院して針やマツサージ治療を受けたが、症状固定の日までの延べ治療日数は約一八〇日であること、が認められ、右認定に反する確かな証拠はない。
三 次いで、原告の被つた損害について判断する。
1 慰藉料 一二〇万円
前記認定の原告の症状、入・通院の経過等に鑑みれば、原告の症状固定時までの入・通院期間中の慰藉料としては一二〇万をもつて相当と認める。
2 休業損害 一三三万五八三九円
原告本人尋問の結果とこれにより真正に成立したものと認められる甲第四六号証の一ないし三の各記録並びに弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故当時自宅で生徒にピアノを教え、平均一日あたり諸経費を控除して三七二一円の収入を得ていたが、昭和五八年三月一日から症状固定の日まで通院のため約三五九日間ピアノレツスンを休んだことが認められるから、原告の右期間の休業による損害は、次の計算式のとおり合計一三三万五八三九円と認めるのが相当である。
3,721円×359=1,335,839円
なお、成立に争いない甲第六号証と弁論の全趣旨によれば、原告は、被告から昭和五七年八月九日から昭和五八年二月二八日までの休業損害として合計七五万九〇八四円の支払を受けていることが認められる。
3 雑費
原告は、雑費として九一一六円を請求するが、証拠上右雑費がいかなる費用であるのか明確ではなく、損害として認めることはできない(なお、前掲甲第六号証の記載によれば、原告は、被告から六日間の入院雑費として六〇〇〇円を受領していることが認められる。)。
4 治療費
原告は、治療費として一〇万四〇一五円を請求するが、症状固定後の治療費は、特段の事情のない限り、事故と相当因果関係のある損害とは認められないうえ、前掲甲第六号証の記載によれば、原告は被告から治療費として合計一七九万五三九五円の支払を受けていることが認められるところ、原告が本訴で請求する治療費と右支払を受けた治療費との関係が証拠上明らかではないから、治療費の損害は認めることはできない。
5 薬代
原告は、薬代として三〇〇〇円を請求するが、右薬の効能、治療上の必要性などについて証拠上明らかではないから、損害として認めることはできない。
6 医師への謝礼 五万円
原告本人尋問の結果これにより真正に成立したものと認められる甲第四七号証の記載によれば、原告は病院の医師等に対する謝礼として金品を送り相当額の出捐をしたことが認められるが、原告の入・通院の経過、症状等に鑑みれば、五万円の限度で相当損害と認める(なお、症状固定後に治療を受けた医師等に対する謝礼は相当損害とは認められない。)。
7 家事労働喪失 七三万円
前掲甲第一九号証の記載と原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件事故当時自宅で生徒にピアノのレツスンをするとともに家事に従事していたが、本件事故による受傷と入・通院のため十分な家事ができなく、実妹や知人の協力を得たことが認められるが、原告の傷害の部位、程度、治療の経過によれば、原告の家事労働能力減退による損害は事故後約一年程度に限定するのが相当であり、しかも前記のとおりピアノのレツスンを休んだことによる損害として一日あたり三七二一円の損害を計上したことを併せ考慮すると、原告の家事労働能力の減退による損害は右一年間を通じ一日あたり二〇〇〇円程度と評価するのが相当である。
してみると、原告の家事労働能力減退による損害は、次の計算式のとおり合計七三万円と認めるのが相当である。
2,000円×365=730,000円
8 交通費
原告は、通院のための交通費を請求するが、前掲甲第六号証、成立に争いない甲第五二号証の記載と弁論の全趣旨によれば、原告は、被告から症状固定時までの通院交通費として二二一万九三四〇円の支払を受けたものであつて、本訴において請求する交通費はその後のものであると推認されるから、これを本件事故と相当因果関係のある損害と認めることはできないものといわなければならない。
9 後遺症損害 一〇三万七四三一円
原本の存在と成立に争いない甲第一一号証の記載によれば、原告は、昭和五九年七月一二日現在左上肢運動障害、特にピアノ教師として左第四、五指の脱力、微細運動障害が認められるが、症状、治療経過により後頭部痛、手のしびれ、知覚低下など局部の症状を残すものの症状が固定し、右後遺症は、自賠法施行令二条別表後遺症害等級一四級一〇号に該当するものと認定されたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
そこで、右後遺症の内容・程度と原告がピアノ教師であるとの特別事情を考慮すると、原告は、右後遺症により労働能力を七年間を通じ五パーセント喪失したものと評価するのが相当である。そして、成立に争いない甲第五〇号証の記載によれば、昭和五四年賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・家歴計の年齢別平均給与額を一・〇六七四倍した原告と同年齢(四〇歳ないし四四歳)の女子の平均給与月額が一五万四八〇〇円であることが認められるから、ライプニツツ方式により中間利息を控除して、右七年間の労働能力喪失による損害を求めると、その額は、次の計算式のとおり合計五三万七四三一円(一円未満切捨)となる。
154,800円×12×0.5×5,7863=537,431円
また、原告の後遺症の慰藉料としては、諸般の事情を考慮して五〇万円をもつて相当と認める。
四 更に、被告の過失相殺の主張について判断する。
前掲甲第一九号証、成立に争いない乙第二、四号証の各記載に原告本人尋問の結果を総合すると、原告は、事故現場の交差点に差しかかつた際、横断歩道を渡る手前でいつたん停止し、道路左側、右側の順に左右の安全を確認したうえ進行を開始し、横断歩道のほぼ中央に進んだ際、千川通りから左折進行してきた加害車両に接触され、自転車もろとも路上に転倒したことが認められ、他に右認定に反する証拠はない。
してみると、原告には、損害賠償の額を定めるにつき斟酌すべき過失があるものと認められず、被告の相殺の主張は採用できない。
五 以上のとおり、原告の本訴請求は、被告に対し、前記三の損害合計四三五万三二七〇円及びこれに対する本件事故の日である昭和五七年八月七日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを正当として認容するが、その余は理由がないからこれを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 塩崎勤)